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「書く文化」と「話す文化」 その1

昨日のログにも関連することだが、日米の言語感覚について私はずっと、日本語は「書く文化」、英(米)語は「話す文化」だなぁ、と思って来た。

私が日本人として、日本で育って来た環境には「話すこと」以前に「書くこと」の美しさが求められて来た。 習字しかり、硬筆習字しかり。 小学校ではジャポニカの書き方ノートで字の練習をさせられたものだ。 日本語の文字には決まった書き順があり、国語テストでも「次の文字で太くなっている部分は何番目に書くでしょう?」とか、「次の漢字の総画数はいくつか?」なんて問題が出た。 学校で“上手に話す”テストなんてものはなかった。 アナウンサーや司会業を目指すなら、また別にそういう学校へ行かなくてはならないだろう。

字の美しさが人生をも変えるということがある。 遠い昔、私もまだ生まれていない戦時中、戦地に赴いている兵士達に、本土に残っている婦女子が激励の手紙を書く、ということがあったそうだ。 私の母の叔母が書いた手紙がある兵士の元へ届けられ、その兵士は手紙の字の美しさにたいそう心を打たれ、
「こんなに美しい字を書く女性は素晴らしい人に違いない。 この人に一目会うまでは死ねない。」
と思い、返事を書き、文通が始まり、そして戦後復員し、すぐにその叔母に会いに来たそうだ。 運命のいたずらか、二人とも年齢が近く、未婚だったので、即結婚という運びになったそうだ。

弟が先日結婚した時も両親はお嫁さんのことをいつも「ほんまに気取ったとこがなくて、感じのええ人や。 それに字もきれいやし。」と言っていた。 品良く話す分には良くても、もしそのお嫁さんが色々としゃべってばかりだと、きっと「ええ人や」にはならないだろう。 やはり日本人にとって字がきれいなのは人物判定上とても重要な要素であり、「話す」方は諸刃の剣となるのだ。 字がきれいに書けないとコンプレックスの原因にもなるのはこういう社会的要請があるのだと思う。 つまり、日本の言語文化は「話す」ことより、「書く」ことに重点をおく「書く」文化なのである。

続く・・・



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by soylista_y_bonita | 2005-05-07 17:09 | アメリカの言語