これからどうする、どうなる!? アメリカで!

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「書く文化」と「話す文化」 その2

翻って、英語話者はどうだろう? もちろん、カリグラフィーという西洋版ペン習字という日ペンの美子ちゃんも真っ青の素晴らしい芸術がある。 よく見るのは結婚式の招待状の封筒に手書きで書かれているとか、詩などを額に入れて飾っておくような場合に使われる装飾文字とかの類だ。 でも、それらは特別なお祝い事などで使われることはあっても、普通の学校でカリグラフィーの授業が必須で組み込まれているということはなさそうだし、字の上手下手は特に社会的評価には繋がらないようだ。 実際、イギリスの大学で教授をしているイギリス人の友人の手書き文字はミミズがちょっと複雑にはってみました、というような状態だし、夫のTのメモは時々、本人に確認しないと読めない時がある。

ではアメリカでは何が社会的、人物的評価につながるのか。 やはりそれはどれだけ「話せるか」のように思う。 アメリカに清教徒がメイフラワー号でプリマス(マサチューセッツ州)にやって来た時から、イギリス本国で迫害され国を追われた彼らは自分達の存在を示すため、既に入植をしていたフランス人、スペイン人達を圧倒するように英語で話しまくっていたに違いない、と私は想像する。 つまり、「話す」ことは移民達にとっては生き残る術だったのではないか?と思うのだ。

生き残りをかけての話術。 それを体系立てて授業として学校で訓練する。 例えば、弁論術(Public Speaking)の授業がアメリカの学校である。 自分の考えや意見をスピーチとしてまとめるわけだが、そこで、スペルの間違いがあったとしても、聞いている方にはわからないし、ましてや字がきれいかどうかなど、問題にもならないだろう。 今やワープロが自動的にスペルミスを直してくれるし、字がきたなくてもワープロのフォントがその代用となる。 書き上がった原稿の体裁なんかより、いかに聴衆を自分の話に引き込むか、自分の話がいかにも魅力的に聞こえるように抑揚をつけた話し方や身振り手振り、挿話の組み込み方などを訓練するのが主な目的なのだ。

自己防衛として話す、サバイバルのために話す、自己表現・主張のために話す。 書かれたものの見てくれより、いかに効果的に「話す」かということに重点が置かれているのが英語圏の、と言うか、自分の限られた範囲内のアメリカでの言語感覚。 「話す」文化なのである。

まだ続く・・・



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by soylista_y_bonita | 2005-05-08 17:53 | アメリカの言語