これからどうする、どうなる!? アメリカで!

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緊張した~

とうとうやって来た8月8日の月曜日。 まぁ、そんなに大袈裟に構えることでもないのかも知れないけれど、ボランティアとは言え、とても貴重で大切な被爆者の方の体験を通訳するという、私にとっては大役だ。

広島と長崎からいらしたお二人は私の当初の心配なんかあっと言う間に吹き飛ぶようなとーっても気さくで、すごーくいい人達だった。 耳はちょっと遠かったけど、ウィスパリングも大丈夫だった。

長崎出身で今熊本にお住まいの橋田さん(女性)は今回が初めての海外旅行。 今までは人前で話すのが下手なのでいやだったが、60年経ってあの時に亡くなった、そしてその後亡くなったお友達が「行って来て。 そして私達の話をして来て。」と言っているような気がして75歳になった今背中を押されてやって来たのだそうだ。 被爆した当時彼女は15歳。 その時の様子を克明に覚えておられ、彼女が話す原爆投下後の様子は生々しい。 元から非常に涙もろい私。 通訳している途中で何度か声につまってしまった。 これだから、本物の通訳にはなれない・・・

広島出身で現在東京にお住まいの上田さん(男性)は被爆当時3歳。 彼はほとんど何も覚えていないそうで、当時26歳だったお母さんから色々とお話を聞いて育ったそうだ。 彼自身が体験したことを自分の言葉で表現し、そして世界に訴えたいことは被爆者が60年たった今も抱えている心と健康の問題と核兵器が及ぼす影響の実相だった。 そして、被爆者が一番に望んでいること、それは核兵器の廃絶。 9・11同時多発テロがあった時、ブッシュ大統領は「報復」という道を選んだが、日本は無条件降伏ということもあったのだけれど、「報復」ではなく生き証人として核兵器の恐ろしさを世界に伝え、廃絶を目指す、そういうことを一番伝えたいとおっしゃっていた。

お二人に共通している感情の一つは「なぜ自分は生き残ったんだろう? どうして生き残って“しまった”んだろう?」「なぜ自分はあの時誰かを助けることができなかったんだろう?」という自責の念だ。 60年間ずっとそれを自分に問いかけ、表面では明るい感じなのだが、そうやってきっと自分をずっと責めて来たのだろう。 それに対して、「原爆を落としたアメリカにやって来て、原爆の実相を話し、平和へ道を開く、という使命をまかされたからではないですか?」というのが精一杯だった。

もう一つは「いつ自分は死ぬのか。」「いつ癌にかかるのか。」という不安だと言う。 若年に被爆した場合、癌にかかる確率が非常に高いそうだ。 それに放射能は遺伝子に影響を与える(一部を破壊する)そうなので、のちのちの子孫に影響が出たらそれは自分の責任だ、、、という健康への不安。 ちょっとした異変が非常に気になるとおっしゃっていた。

橋田さんが言った「平和も戦争も人間が作り出すもの。 どちらを選べばいいかははっきりしている。」という言葉が印象的だった。 そして彼女は色んな人と話す毎に「色んな人と話ができて楽しい。 人間って素晴らしい!!!」を繰り返していた。

通訳としては話を聞きに来て頂いた人達に謝りたい気分。 アルバカーキに住んでいる日本の方も何名かいらしていたので、私が話をすっ飛ばしてしまったり、ちょっと予習して行っていたので、まだ話していないことを先に訳してしまったりしたのがバレバレだったと思う。 全く持って "Lost in Translation"だ。 それでも少しは伝わった様子だったのは嬉しかった。 私自身もたくさんの本当に色んなことを学ばせてもらった。 「私がアルバカーキに来た意味は何なんだろう、、、仕事も見つからないし。。。」と思っていたけど、こういうことができた。 それだけでも意味があったような気がする。 そしてお二人から沢山の元気も頂いた。 健康で何の不安もない毎日はそれだけで素晴らしいものなんだ。 人間って素晴らしい!!!


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by soylista_y_bonita | 2005-08-10 17:50 | アメリカで生活する