これからどうする、どうなる!? アメリカで!

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カテゴリ:アメリカの言語( 8 )

言葉は変わるもの・・・


J.D.サリンジャーの『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』を読んでいるとこの下のエントリーで書いたけど、20年前にこの本を読んだ時、正直言ってよく理解できなかった。 それで、結構ずっとその「よく理解できなかった」ということを引きずって、そのうちまた読み直してみよう、なんて思っていた。 “そのうち”が20年後になってしまったわけだけど、今回読み直してみて、なぜよく理解できなかったのかわかったような気がする。 言葉が古いのだ。

オリジナルの『大工よ、屋根の梁を高く上げよ (Raise High the Roof-Beam, Carpenters)』は1955年、『シーモア-序章 (Seymour -- An Introduction)』は1959年に書かれた後、1963年に一冊の本として出版され、私が持っている新潮文庫版の日本語訳は1970年に河出書房新社より刊行されている。 オリジナルが出て既に50年、訳が出て35年経過している。 今もこの訳が全くの手入れなしで発行され続けているのかはわからないが、もしそうだとしたら、若い読者は国語辞書がいるかも知れない・・・というぐらい今はもうほとんど使われていない言葉が出てくる。

例えば、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』の中に出てくる“パンケーキ”という言葉。 今はいわゆるホットケーキの別名みたいな感じで日本では定着していると思うが、私も覚えているけど、70年代の日本で“パンケーキ"と言えば、今で言う化粧品の“ファンデーション”のこと。 原書の方も“pancake”となっていたので、ちょっと調べたところ、マックスファクターの商標だそうだ。 この他にも私自身読み方もおぼつかないし、意味もわからない“斥候(せっこう)”なんて言葉も出てきた。 “斥候”の意味は「敵状を偵察・捜索させるため、部隊から派遣する少数の兵士(広辞苑)」だそうだ。

それより増して、私にとって理解が難しいのが『シーモア-序章』。 訳された方は非常に苦労したのではないかと同情する。 一つの文がやたら括弧や、挿入やらでダラダラと続き、はっきり言って読みにくい。 これは訳がまずいというのではなく、原書がそうで、サリンジャーがとにかく頭に浮かんだことはとりあえず全部入れときましたー、って感じなのだ。 サリンジャーの主要作品はほとんど読んだけど、この『シーモア-序章』は言葉の古さも相まって格別に読みにくい。 それまでの作品が台詞も入って描写的なのに対して、『シーモア-序章』は独白スタイルで、なんて言うのか、気難しいおじさんが延々と独り言をブツブツ言っている(書いている)ような感じ。

「ライ麦畑でつかまえて」が村上春樹の訳で「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(←私はまだ読んでいない)として2年前に出たけど、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』も現代語訳と言ったら大げさだけど、もう少し読みやすい訳が出てもいい頃なんじゃないかな、と思ったりする。


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by soylista_y_bonita | 2005-11-07 17:19 | アメリカの言語

皆さん、有り難う!

「書く文化」と「話す文化」を長たらしく3日に分けてアップしましたが、沢山有益なコメントを頂き、本当に有り難うございました。

「書く文化」と「話す文化」についてはかなり前から頭の隅にはあったのですが、一つの考えとしてまとまっていませんでした。 そして、それがどこへ導いて行くのかも全くわからないままうっちゃっておいたのですが、今回の採点のアルバイトのおかげでまた考えるきっかけをもらい、またブログという場があったので、時間をかけて文章にすることができました。 書いている途中先走ってしまうこともあり、これじゃ、読んでる人には何が何やらさっぱりわからないな、なんて感じで何回も書き直したり、蛇足気味の部分は思い切って削ったりしながらも、自分の中では何かが確かな形となった感じがします。

以前から夫のマスターが終わったら、私も! なんて思ってはいたのですが、いざ何を勉強する?と思ったら、具体的に思い付くものはMBAだけでした。 MBAあるいはMIM(Master of International Management: 国際経営修士)は魅力ある学位ですし、ビジネスの分野は得意でもあるのですが、なんとなく刺激されるものが以前よりなくなって来ていました。 その分、頭をムクムクもたげて来たのが「言葉」に関することだったのです。

「言葉」に関することと言っても幅広いのですが、私は自分の経験から外国人が第二言語を習得して行く上での「言葉」の変遷、またそれが社会とどう関わっているのか、例えば、自国でのアイデンティティー(自分であること)と第二言語が話されている社会(国)でのアイデンティティーの違いはあるのか、などなどに興味を覚えるようになって来ていました。 そうこうする内に社会言語学という大きな分野があり、その中にSLA(Second Language Aquisition: 第二言語習得)というものがあり、そしてさらにその中にILP(Inter Language Pragmatics:中間言語語用論)というものがあるのを知りました。

色々とこの中間言語語用論を調べて行くと、私が常に感じていた、文法やボキャブラリー、発音などの言語能力が高いのに、効果的なコミュニケーションができない人、場合があるのはなぜか、という疑問を研究する分野のようでした。 また外国語学習者がその対象言語を習得して行く過程で何がどう変化し、何が足らないのか、あるいは何が問題となるのか、ということも研究するようです。

とりあえず今はこの線でどの大学でこの理論を勉強できるのかを探さないとなー、と思っているところです。 それと同時にアメリカの大学院に入るにはそれぞれの学部に応じた共通テストみたいなのを受けないといけない(この場合GRE(Graduate Record Examination)ので、その勉強もしないといけないし、TOEFL(Test of English as a Foreign Language: アメリカの大学に入学しようとする外国人の英語力を測るテスト)も勉強しないといけないだろうし・・・などと考えると子供のことや家庭、学費のこともあって、腰がひけてしまいます。

でも皆さんが書いてくださったコメントから、また様々なことを考える種と肥料を頂きました。 もし、私のブログを読んでいる方の中で、中間言語語用論関係のことで情報、例えば、この先生の本がいいとか、有名とか、この大学でやってるとか・・・をお持ち方がいらしゃったら、ぜひなんでも教えて下さい。 すぐには実現は難しいかも知れないけれど、いつも頭の片隅にこのことを置いて、少しずつでも現実にして行きたいと改めて今思っています。 こうやってブログにも書いて公開しちゃったしね。 後には引けないわよ~、って感じ!


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by soylista_y_bonita | 2005-05-12 17:11 | アメリカの言語

「書く文化」と「話す文化」 その3

日本語は「書く文化」で英語は「話す文化」となぜ私が考えるのかを書いて来たけれど、それはどちらの方がいいとか優れているとか言うためではない。 それぞれに足らないものは何なのか、それぞれの強味は何なのかを知り、そしてそれぞれの違いを認識することは、よけいな劣等感やストレスを抱え込まずに英語を学習したり、外国人と人間同士としてのコミュニケーション(意思疎通)を図るためのヒントになるのではないか、と考えているからだ。

今も時々日本のTVでやっているのかどうかわからないけど、「おじいちゃん、おばあちゃん初めての海外旅行」という番組を友達がビデオに撮って当時ウィスコンシンにいた私に送ってくれた。 その中で、今でも印象に残っているシーンがある。 ある老夫婦がハワイかどっかに初めて行くのだが、空港から番組が手配した車でホテルに向かう。 運転手は現地のアメリカ人。 おばあちゃんが日本語がほとんどわからない運転手に日本語で聞く。
「あなた結婚してるの?」
運転手「???」
「結婚よ、結婚。 奥さんいるの?」
「???」
「えーっと、そうそう、ワイフよ、ワイフいるの?」
「Ah~, wife! No. I’m single.」
「え? 何?」
「I’m single.」
「え? シングルって言った?」
おじいちゃん「シングルって一人ゆう意味ちがう?」
「あ~、そのシングルね。 あなたね、シングルよりね、ダブルの方がいいわよ~」
初対面の人にいきなり結婚してるかどうかを聞くのもなかなかの度胸だと思うが、独身がシングルなら、既婚者はダブルという発想にまずは脱帽。

アメリカ人は質問されるのに慣れているし、またよくこんなことまでここで聞くの?というようなことも普通に質問して来る。 だから、この運転手もさほど気に障る様子もなかった。 こういう部分は私が考える「話す文化」の強味。 そして、英語が話せなくてもなんとか会話してしまったおばあちゃんが知っていた単語、「ワイフ」と「シングル・ダブル」。 これらをおばあちゃんは英語話者が話した単語として知っていたと言うよりはどこかで読んだりしたのではないかと想像する。 こういう一般的に言って英語に疎い世代でもちょっとカタカナ言葉を知っているのは「書く文化」の強味だと思う。 そして、日本人にとって一般的に言われている「話下手」の劣等感。 それが、このおばちゃんには全然ない (概して女性の方がよく喋る)。 そして相手の運転手。 老夫婦の調子がこんなだから、流暢な英語の会話ができないとわかっているので、少しは「聞く」耳を持ち、相手が何を尋ねているのか、理解しようと努力している。 つまり、それぞれに足らないものを補い合い、強味を生かしてコミュニケーションを成立させているところに私はとても興味を引かれた。

でもこれは極端な例で、この例を出したからと言って、英語がそれなりにできる人に向かって「日本語丸出しの英語で良いから勇気を出して話してみましょう。」なんて言うつもりは毛頭ない。 そういう日本人としては「英語ができる」とされる人達の抱える問題は何なのか、と最近よく考える。 根性論や精神論で英語ができれば苦労はいらないだろうし、楽しいだけの英語学習で本当にいいのだろうか、今までの「書く」学習を無駄にしない方法は? とか、はたまた「英語ができる」だけではだめ、それに加えてなんらかのプラスαが必要、そのプラスαとは? 云々。 「書く文化」の国、日本で教養を身に付けた日本人がやって来た「話す文化」の国、アメリカ。 「話す文化」に迎合するのではなく、日本人としての存在意義を保ちながら、効果的な意思疎通を図るには、どうすればいいのか、そんなことを採点のアルバイトをきっかけとして考えている。 考えが今あちこちに飛んでいる状態。 これから寝て、また明日考えよう。


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by soylista_y_bonita | 2005-05-10 16:55 | アメリカの言語

「書く文化」と「話す文化」 その2

翻って、英語話者はどうだろう? もちろん、カリグラフィーという西洋版ペン習字という日ペンの美子ちゃんも真っ青の素晴らしい芸術がある。 よく見るのは結婚式の招待状の封筒に手書きで書かれているとか、詩などを額に入れて飾っておくような場合に使われる装飾文字とかの類だ。 でも、それらは特別なお祝い事などで使われることはあっても、普通の学校でカリグラフィーの授業が必須で組み込まれているということはなさそうだし、字の上手下手は特に社会的評価には繋がらないようだ。 実際、イギリスの大学で教授をしているイギリス人の友人の手書き文字はミミズがちょっと複雑にはってみました、というような状態だし、夫のTのメモは時々、本人に確認しないと読めない時がある。

ではアメリカでは何が社会的、人物的評価につながるのか。 やはりそれはどれだけ「話せるか」のように思う。 アメリカに清教徒がメイフラワー号でプリマス(マサチューセッツ州)にやって来た時から、イギリス本国で迫害され国を追われた彼らは自分達の存在を示すため、既に入植をしていたフランス人、スペイン人達を圧倒するように英語で話しまくっていたに違いない、と私は想像する。 つまり、「話す」ことは移民達にとっては生き残る術だったのではないか?と思うのだ。

生き残りをかけての話術。 それを体系立てて授業として学校で訓練する。 例えば、弁論術(Public Speaking)の授業がアメリカの学校である。 自分の考えや意見をスピーチとしてまとめるわけだが、そこで、スペルの間違いがあったとしても、聞いている方にはわからないし、ましてや字がきれいかどうかなど、問題にもならないだろう。 今やワープロが自動的にスペルミスを直してくれるし、字がきたなくてもワープロのフォントがその代用となる。 書き上がった原稿の体裁なんかより、いかに聴衆を自分の話に引き込むか、自分の話がいかにも魅力的に聞こえるように抑揚をつけた話し方や身振り手振り、挿話の組み込み方などを訓練するのが主な目的なのだ。

自己防衛として話す、サバイバルのために話す、自己表現・主張のために話す。 書かれたものの見てくれより、いかに効果的に「話す」かということに重点が置かれているのが英語圏の、と言うか、自分の限られた範囲内のアメリカでの言語感覚。 「話す」文化なのである。

まだ続く・・・



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by soylista_y_bonita | 2005-05-08 17:53 | アメリカの言語

「書く文化」と「話す文化」 その1

昨日のログにも関連することだが、日米の言語感覚について私はずっと、日本語は「書く文化」、英(米)語は「話す文化」だなぁ、と思って来た。

私が日本人として、日本で育って来た環境には「話すこと」以前に「書くこと」の美しさが求められて来た。 習字しかり、硬筆習字しかり。 小学校ではジャポニカの書き方ノートで字の練習をさせられたものだ。 日本語の文字には決まった書き順があり、国語テストでも「次の文字で太くなっている部分は何番目に書くでしょう?」とか、「次の漢字の総画数はいくつか?」なんて問題が出た。 学校で“上手に話す”テストなんてものはなかった。 アナウンサーや司会業を目指すなら、また別にそういう学校へ行かなくてはならないだろう。

字の美しさが人生をも変えるということがある。 遠い昔、私もまだ生まれていない戦時中、戦地に赴いている兵士達に、本土に残っている婦女子が激励の手紙を書く、ということがあったそうだ。 私の母の叔母が書いた手紙がある兵士の元へ届けられ、その兵士は手紙の字の美しさにたいそう心を打たれ、
「こんなに美しい字を書く女性は素晴らしい人に違いない。 この人に一目会うまでは死ねない。」
と思い、返事を書き、文通が始まり、そして戦後復員し、すぐにその叔母に会いに来たそうだ。 運命のいたずらか、二人とも年齢が近く、未婚だったので、即結婚という運びになったそうだ。

弟が先日結婚した時も両親はお嫁さんのことをいつも「ほんまに気取ったとこがなくて、感じのええ人や。 それに字もきれいやし。」と言っていた。 品良く話す分には良くても、もしそのお嫁さんが色々としゃべってばかりだと、きっと「ええ人や」にはならないだろう。 やはり日本人にとって字がきれいなのは人物判定上とても重要な要素であり、「話す」方は諸刃の剣となるのだ。 字がきれいに書けないとコンプレックスの原因にもなるのはこういう社会的要請があるのだと思う。 つまり、日本の言語文化は「話す」ことより、「書く」ことに重点をおく「書く」文化なのである。

続く・・・



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by soylista_y_bonita | 2005-05-07 17:09 | アメリカの言語

えらそうに聞こえるかも知れないが・・・

今回初めてやった小4理科テストの採点。 たった一つの問題の答案を採点しただけだったが、色んなことを気づかせてくれた。 このテストはアメリカ全土で実施されたものではなく、ある一つの州で行われたものだったので、アメリカ全体がそうだ、とは言えないかも知れないので、その点を踏まえながらも書き留めておこうと思う。

一つ大きく思ったのは「本を読む」ことの大切さ。 いわゆるコミックでもとりあえずはいいかも知れないとさえ思う。 小4の頃と言ったら私は大の「りぼん」ファンだった。 たぶん中学校ぐらいまでは毎号買っていたと思う。 その後は学校やら部活で忙しくなり単行本へ移行し、「ベルばら」、「オルフェイスの窓」、「虹の航路」、「綿の国星」、「SWAN」などなど全巻揃え、大学に入る頃には300冊ぐらいは持っていたと思う。 社会人になってからでも「Banana Fish」だけは単行本が出るごとに必ず買っていた。 「ベルばら」では例に漏れずフランス革命に夢中になり、小学生にもかかわらず、ロベス・ピエールの小難しい政治思想の本なんかも読んだり、フランス語も大学で勉強することになった。(挫折したけどさ。。。) 「Banana Fish」は、その後私にかなり大きな影響を与えることになるJ.D. サリンジャーの作品へと導くきっかけとなった。 (サリンジャーは “A Perfect Day for Bananafish( 邦題:バナナフィッシュにうってつけの日)”と言う作品を書いている)

つまり、きっかけはまんがであってもそこから興味が広がれば、本を読むようになるのでは?ということ。 この理科のテストではとにかくスペルミスが多く、活字を自分の目でしっかりと読んでいないんだろうな、と私は感じた。 例えば基本的な単語、live も lif、leave、lev、liv などになっていた。 こういうよく出て来る単語はコミックでも活字を読むことで、ある程度つづり方は頭に入って来たりするんではないかと思う。

なぜこういうことが起きるのか、と考えてみると、私には身近に小学生がいないので想像するしかないのだが、多分、テレビ、ビデオあるいはDVD、そして会話でしか言葉を認識していないのだろうと思う。 耳で聞いた言葉をそのまま口に出すだけで、言葉を書いたものには置き換えていないのだと思う。 それが顕著に出ていた例が “tongue(舌)”という単語。 かなりの児童が “tongue”を“tung”と書いていた。 確かに“ton”と“tun”は同じ発音、“gue”と“g”も同じ音なので、“tung”とつづっても良さそうだけれど、日本語の「暑い、厚い、熱い、篤い」と同様、どれでもいいってわけではない。 (ちなみに“tung”という単語は tung tree という場合にのみ使われて「桐」を意味する。)

それから一番多かった間違い、there, they are/they're, their がごっちゃになっている。 they are と言う時は「y」の「イ」という音が落ちやすくなり、そうなるとこれらは全部同じ発音になるので、無理もないかもしれないが、それぞれの実際の使われ方は全然違う。 これも本などを読めば、必ず出て来るような単語なのにな、と思わずにいられない。

こういう話をすると夫のTは「教育ママ」としっかり日本語で私のことを呼ぶ。 でも、このログを書くために参考にしようと思って見つけて来た統計(ちょっと古い)を見て、今本当に汗がにじみ出て来た。 心がざわざわする。 こ、これで、本当に大丈夫なのか、アメリカー! 恐いもの見たさに勝てない方だけ、National Institute For Literacy(NIFL: アメリカ国立識字研究所)のページへどうぞ。

と、言いつつ書いちゃうけど、この統計は16歳以上の大人だけを対象としている。 この統計によると、16歳以上のアメリカ人で、英語が全く読めない、あるいはほとんど読めないというレベル1に入る人が23%いる。 そして、中学2年生レベルぐらいまでなら、というレベル2に入る人が27%。 つまり半分の人が識字上、非常に厳しい状況にあるということだ。 もちろんアメリカ生まれでない外国系アメリカ人も数に入っていて、生まれた時から英語環境にいた人ばかりではないので、そういう人達がこの数字につながっているのかも知れない。 しかし、アメリカ生まれのアメリカ人の平均作文能力は国際調査をした高収入国17ヶ国中10位。 世界第一位の経済大国を自称するアメリカにしてはお粗末様ではないだろうか。

NPR(National Public Radio)でこの間「テレビを消そう運動」というのがあるのを知った。 「テレビを絶対見ちゃダメ!」なんて言うつもりはさらさらない。 私も結構テレビっ子だし。 でも、少しテレビの時間を減らして、活字を読む時間を持つことは特に子供達にとっては必要なことだと実感した。 ただ子供達にはそういう押し付け感や切羽詰まった状況を感じさせてはいけないとは思うが、大人は危機感を持たなくてはいけないことだと思う。 自分の子供が学校へ行くようになったら、やっぱり私は「教育ママゴン」になりそうだな。。。


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by soylista_y_bonita | 2005-05-06 17:18 | アメリカの言語

文法テスト

今日、作文テストの採点者バイトの面接に行って来た。 面接の前に応募書類に書き込んで下さい、と言われて渡されたバインダーに、なんか結構紙が挟まってるな・・・と思ったら、普通に名前、住所などを書き込む用紙と共になんと文法テストとショートエッセイの用紙が入っていた。 ガ~ン!

そんなものがあるとは思わなかったから、心の準備ができていないぞ、、、と思いつつ、見ると、文法テストはまるでTOEICの誤文訂正のような問題と、似たような文章が3つ並んでいる中から正しいものを選ぶ問題、問題文の文章の種類(単文、複文、重文、追い込み文など)を定義する問題、間違いやすいつづりの単語の問題なんかが出ていた。 まったく「ひょえー!」だ。 テストはもう2年以上も受けてないから、けっこう焦った。 誤文訂正や正しい文章を選ぶ問題は間違いがわかれば答えも「これ!」って感じで割とすっきりと回答できるのだけれど、意外に手間取ったのはスペル訂正問題だ。 出た単語は(中には正しいスペルのものも含まれている)、
1. congratudations
2. accommodation
3. definately
4. friend
5. athelete
1と4はすぐにわかったけど、残りは「あれ、2はcが一個だっけ? それともmが一個だっけ? え、でもこれで合ってるような気がするな、、、 3はこういうつづりじゃなかった? どうだったけな? 5はえーと、最初のeはいらなかった?」 たった3つのよく目にする単語でえらい時間がかかってしまった。 普段は手書きで英語をほとんど書かないので、スペルがかなりあやうい今日この頃。 漢字を書かないと忘れるのに似ている。 だいたいワープロを使っていると、スペルを間違ってもワープロが知らない間に直してくれるので、スペルを間違っていることにさえ気が付かない。 それなのに、これが終わったら、エッセイだ。 それも手書きだ。。。 「あ~、バイトの仕事にもありつけない私って・・・」と絶望的な気持ちになった。

なんとか全部やり終えて、しばらくしてから人事の人と面接になった。 そしたら、その人事の人、いきなり「ワタシノ ナマエハ ブレンダ デス。」(←一応“効果”としてのカタカナ)と言って来た。 「お~、日本語だ!」と思うと一気になんだか気が楽になった。 彼女はそれぐらいしか日本語はできないらしいのだが、沖縄の米軍基地に2年いたそうだ。 ひとしきり日本の話をした後で、正直に文法テストがあるとは思わなかったので、ちょっと面食らったと言ったら、「あら~、大丈夫よ。 ここに来たことがある学校の先生達より出来てたから、心配しないで。」だって。 この会社は私が応募した採点のバイトの他にも色々教育に関連したサービスを提供しているので、学校の先生が“副業”で来たり、定年退職した先生なんかがやってくるのかも知れない。「学校の先生って意外と文法できない人がいたりするのよ、困ったことに。」とおっしゃる。

確かに私も「えー、これちょっと違うんじゃないの?」と思ったことはいくらでもある。 きちんとした英文の社内文書に出会うと「お~」ってなもんだ。 でも彼らはあんまりそういうとこ、もともと気にしてないような風情がある。 間違ってても、「あ、でもわかるでしょ?」だ。 まるで、「わかんないあんたがいけないのさっ」と言われてるようだ。 かと言って私が間違ってたりすると“朱書き”で「直しておいたわよ~」と来る。 まぁ、私は英語「を」勉強して来たわけだから、文法も知っているけど、英語「で」生活して来た、英語「で」勉強して来た人達には細かい文法はいらないのだ~。 私とて、日本語を勉強している人が、「この動詞はカ行変格活用だから・・・」と言って来たら、「そう言えばそんなの学校で習ったような気がする・・・」と思いつつも「そんなの気にしなくていいヨー」と言うと思うな。

アメリカのスーパーで買い物をしたことがある人ならきっと、“Express Lane”というのを見たり、利用したことがあると思う。 買い物の量が少ない人専用のレジのことだが、たいていそのサインの下に、例えば “12 items or less (12品以下)”等と書かれていると思う。 以前グリーンベイの会社で正確な英文が書けるようにという配慮で文法の研修が希望者にあった。 その時の先生が言っていたことで、印象に残っているのが、スーパーに行く度に、このエクスプレスレーンの“less”が彼女はどうしても気になって、「less は数えられないものに使うのよー、fewerにしなさいぃぃぃ!!」って叫びたくなるそうだ。 確かに文法的にはそうなんだけど、もうlessが定着してるみたいだから、これが次のスタンダードになって行くのかも知れないよね。 日本語の「全然すごい」や「全然かっこいい」みたいに。

面接の結果、採点バイトはゲットした。 作文の採点トレーニングがあって、それを受けて、模擬採点をしてOKだったら、本採点に入る予定。 でもかなりの作文を短時間に読まないといけなさそう。 上に出て来たブレンダさんも採点やってたことがあったらしいのだが、最高記録は1時間に80だって。 一作文、一分以下。。。 ほんとに読んでたんだろうか・・・

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by soylista_y_bonita | 2005-02-11 19:29 | アメリカの言語

ここはニューメキシコ! その1

そう、ここはニューメキシコ。 ヌエバ・メヒコである。 何が言いたいかと言うと、ここではとにかくスペイン語に遭遇することがめっちゃ多い、という事だ。

通りの名前はもちろん、山の名前や広告などスペイン語が町中に溢れてる。 イエローページ(アメリカの電話帳はこう呼ばれる)でも利用案内みたいなところはスペイン語のページがもちろんある。 公的に発行されている文書なんかでも英語版のみならず、スペイン語版がちゃんと用意されている。 家はケーブルに入ってないんだけど、それでも普通に見られるTVのチャンネルは全部で12あって、内4つはスペイン語放送だ(後は全部英語)。 アメリカ映画をスペイン語の吹き替えでやっているのを見ると非常に奇妙だ。 アメリカ人がアメリカ映画を日本語吹き替えで見るのってこんな感覚なんかな? 時々、求人広告を見て『お、バイリンガルの募集だっ!』と思ってよく読むとそれは“英語/スペイン語”のバイリンガルなんである。 ここでは日本語は全くお呼びでないんだな。「間違いないッ」

Census 2000(アメリカの国勢調査。2000年実施。 次回は2010年)によるとニューメキシコ州のラティーノ(ヒスパニック)人口は州人口の42.1%。 メキシコと国境を接しているテキサスで32%、アリゾナは25.3%、カリフォルニアは32.4%。 ラティーノが多いイメージのあるフロリダでさえ16.8%だそうだ。 私が以前住んでいたウィスコンシンはどうかと言うと、たったの3.6%! 全州をチェックしたわけではないけれど、ニューメキシコはダントツにラティーノが多く住んでいると言えそう。 スペイン語が溢れているのも当然なわけだ。 カリフォルニアなど日本人が多く住んでいるところには日本語のみの看板とか立っているんだろうか・・・

別にスペイン語がわからなくても英語さえなんとかなれば困ることは全然ない。 たいていのラティーノはバイリンガルだし、私が出会ったラティーノはみんな気さくでとってもフレンドリー。 ウィスコンシンで感じた「あ、アジア人だ。 きっとあの子が話す英語はわからないぞ。」的な構えはここでは感じたことがない。 もちろんスペイン語がわかれば鬼に金棒。 私も挫折したスペイン語だけど、それなりに今役立っている。 隣に越してきたカルロスさん一家はペルー出身。 奥さんは英語が話せるけど、カルロスさんはほとんどだめ。 で、片言のスペイン語と片言の英語での会話になるわけだ。 TVでもスペイン語放送が見られるし、またスペイン語やってみるかな~。

(追加)言葉 【ラティーノ (Latino)】ヒスパニック(Hispanic)とほぼ同義。 ラテンアメリカ(中南米)系のアメリカ人をさす。 聞いたところによると彼らはヒスパニックと呼ばれるより、ラティーノと呼ばれることを誇りに思うそうなので、ここではラティーノとしました。
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by soylista_y_bonita | 2005-01-24 19:07 | アメリカの言語